今日も まっ晴れ!

主に古い鉄道写真をアップしています。

斜光線に輝いて

撮影:1973年8月


特急《出雲》仕様のDD54 34がローカル列車を牽いて温泉津駅に入って行きます。

1972年10月に米子区のDD54が3両(16・17・30)も福知山区(播但線の無煙化用)に配転されにも係らず、1973年春には出雲市-浜田間にあった唯一の下り蒸機列車833レが無煙化され、島根西部にもDD54牽引のローカル列車が目立つようになっていました。
近頃の鉄道専門誌では、DD54が特急《出雲》の運用から外れたのは1974年春となっています(1970年代後半に出版された鉄道専門誌では《出雲》からの引退は1973年春となっています)が、この頃からDD54が特急《出雲》を牽く姿を見掛けることが少なくなり、1973年夏以降は遂に一度もDD54が《出雲》を牽くのを見る事はありませんでした。


544レで米子まで行った浜田区のC57は、1973年春には833レの運用から外されて、出雲市からは単機で浜田まで帰区するようになりました。


当時、ディーゼル機関車の数にそんなに余裕があるとは考え難いにも係らず、真昼間にC57をなにもわざわざ単機で帰さなくても良いのになぁ・・・と思いながら、恨めしく単機回送のC57を見送ったものです。


日野川橋梁のDD54

残雪の大山を背景に、山陰本線の日野川橋梁上にDD54牽引の客車列車が現れました。

この列車は伯備線のローカル列車です。

DD54が伯備線に入ったのは僅か一年ほどの間でした。

今度は山陰本線の上り貨物列車が通り過ぎて行きます。


撮影当時、このようにDD54は山陰本線では最もポピュラーな機関車だったような印象があります。


撮影日 : 1972年3月29日



マンモス機EH10のこと

昭和48年ごろ、貨物列車牽引機の中でも一際異彩を放っていたEH10

車体の大きさや無骨さ・カラーリングから「熊ん蜂」とも呼ばれていました。

気動車特急《まつかぜ》と並んでもキハ82がまるまる一両分が隠れてしまうほどの長さで、その大きさが想像されます。

初期型はパンタグラフが車体中央寄りに配置されています(EH10 3)


撮影の昭和48年頃でも運用は少なくて、来る貨物列車の殆どはEF60やEF65の牽引でした。




三江北線 時代

2018年3月31日をもって廃止が決まった三江線ですが、今から46年前の1972年春、浜田からの荷物を持って終着の浜原に向かうC56貨物列車を見て誰がそんな終末を迎える事を予測できたでしょうか。

三江(北)線 粕淵-浜原 391レ C56 106[浜]1972年3月30日


ボンネット型電車のこと

L特急《しおじ》には151系の出力を上げた181系が使われていました。

パーラーカーの元クロ151や

狭軌のスピード記録を作り、その記念プレートを持った車両まで運用に入っていたので放課後のチョイ撮りでさえも、次はどんな車両が来るのか?けっこう刺激的な撮影でした。


こちらは九州特急の485系《みどり》

スカートの部分が何かに衝突したようでデコボコしています。修理する間もなく運用に就いていると言うのは、それだけ車両の数に余裕がなかったのでしょうか?
撮影は1972年ごろ


本日も、たいへん見苦しい写真ばかりで失礼しました。