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主に古い鉄道写真をアップしています。

三江(北)線の記憶

           
昭和47年7月 三江(北)線は梅雨末期の集中豪雨で甚大な被害を受けました。

             

これは被災して約一か月後の昭和47年8月の赤塚-粕淵間に架けられていた江の川第一橋梁の様子です。

                               

         

上の写真を撮った位置とほぼ同じ場所から撮影したC56貨物列車↓

                              

三か月ほど前の昭和47年4月2日
強い寒の戻りで当地は4月にも関らず積雪がありました。


同橋梁は対岸との生活連絡橋も兼ねていて、積雪した橋梁を向こうから自転車が来たのには驚きました。


同じ橋梁を粕淵駅東側にある線路とオーバークロスした道路から見る。

           

                                        終着の浜原行きC56下り貨物列車


         ↓一か月経っても川縁の田圃の水は引いていません。

          

流失してしまった江の川第一橋梁は此処からでは全く見えないので、上の2枚の写真が同じ場所から撮ったことが判りづらい写真になっています。


                                         

            昭和46年8月16日


浜原行のC56貨物列車が粕淵駅を出発して来ました。

                                  

被災直後、道床は流され、流木が線路を塞いでいます。


浜原を出発した貨物列車が粕淵駅手前のトンネルに入るところ

         

ここにも濁流が流れたようで、たくさんの流木が線路上に見えています。

            

未だ江の川の水量は多く、ポツンと立っている腕木の信号機が寂しそうです。



昭和49年 夏  粕淵駅構内

腕木信号機には材木のようなもので大きくXとされ、未だ列車が走っている気配はありませんが、流失したガーダー橋はトラス橋に架け替えられている事が分かります。


(三江線の歴史を書いたブログの中には「水害で不通になった赤塚ー粕淵間が復旧したのは1972年の年末であった」としてあるものもありますが、同区間の江の川第一橋梁を流失してしまっているので、そんなに早く復旧する筈はありません。)


終着駅浜原までの開通を待たずに貨物列車はC56からDD16に置き換えられました。

                      


                                           

その後も度々豪雨により三江線は被害を受け続けました。
そんな三江線の長い歴史の中にこんな出来事もあったのです。


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