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北海道炭礦汽船 真谷地炭鉱の記憶

 私が夕張線沼ノ沢から真谷地方面に分岐する北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用線を初めて訪れたのは1974年の年末(12月27日)で、既にE型タンク機5055や5056の姿はなく、そんなに古いお話しではありません。
 初めて訪問した時から31年ほど経った2005年10月3日のことです。道東に帰る途中で、真谷地炭鉱のことを思い出して、衝動的に少し寄り道をしてみました。
 廃墟と化した真谷地炭鉱跡地には、微かな記憶の中にある懐かしい建物が未だ存在していたことに驚き、言い表すことのできないほどの感動を覚えました。


1969年に夕張鉄道より来た元国鉄9645の24号機

その24号機の後ろに見えていたのが⇓の建物です。

 24号機の右側に見えている踏み切り付近で写真を撮っていると、この建物からオジさんが出て来て玄関の所から「次のバスまで時間があるから、中に入って暖まりにおいで」と、大きな声で事務所に招いてくれたことが昨日の事のように思い出されました。
 1974年当時の此の建物の屋上にはかなりの積雪があります。下の写真では板金の屋根が設けられ、これは積雪対策だったのでしょうか?後々まで此の建物が大切にされていたことが推測されます。


1971年に夕張鉄道から来た22号機が休んでいる機関庫

機関車用の出入り口はシャッターに代わり、機関車の排煙用の煙突は撤去されていますが、機関庫の棟には排気用の構造物が残っているのが分かります。また外壁はトタンの波板に覆われて様相が変わってしまっていますが側壁の窓の配置はそのままのようです。


石炭を満載した石炭列車の前方には多くのビルが建ち並び、石炭産業の栄えていた頃のことが偲ばれます。

そのビル群の左にある建物の屋上には「我々の手で やま を守ろう」と書かれたスローガンが見てとれます。

2005年10月に訪れた時には、皮肉にも「我々の手でやまを守ろう」のスローガンが掲げられてあった建物だけが木々の中に埋もれるようにして残っていました。


 この時は懐かしい思い出と共に、栄枯盛衰の哀れを直に見た思いがしたものです。あれからも もう12年ほど経ってしまいましたが、今ごろ真谷地炭鉱はどんな風になっているのか?と、北の大地に思いを馳せると、あの蒸気機関車の煙の香りが漂って来るような気がして来るのです。



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